2009年6月30日火曜日

県教委候補の野口芳宏氏は著書で
  「『体罰』を断行する」と

 森田健作知事は、県教育委員会委員に植草学園大教授で、日本教育再生機構代表委員の野口芳宏氏(73)を起用する方針を固めました。

 6月県議会最終日の7月8日に提案する見通しです。

 野口氏は58年、千葉大教育学部卒。木更津市内の小学校で教頭や校長を歴任しました。

 96年4月から北海道教育大教授、08年4月から植草学園大教授を務めています。

 06年10月以降、日本教育再生機構の代表委員。

 森田健作知事は日本教育再生機構の発足時から代表委員をつとめています。

 6月県議会の議案で教育委員( 新任)の候補者になっている、日本教育再生機構の代表委員を務める野口芳宏氏は、著書『教育語録・硬派で鍛える』の中で以下の発言をしています。

 ─── 以下引用)───

 “ 例えば悪いことをした時に謝罪をしないという意地っ張りを一度許せば、彼らに一つの無軌道のハードルを越されることになる。絶対に謝罪をさせなければならない。教師がそれに負けてはならない。どうしても謝罪しなかったらどうするか。ひっぱたくのである。叩きのめすのである。「体罰」を断行するのである。そこまでしても人間社会のルールを身につけさせていく気迫がなければ子どもの教育は身を結ばない”

 と発言してます。



 
また、野口芳宏氏は【野口先生ご推薦のkyositu.com編集部が発行する小学校教育総合情報誌 『kyositu.comニュース』】に下記の記事を寄せています。

政治への関心を持とう 野口 芳宏 

 1.国旗・国歌と指導要領

 教員の政治活動は,「教育公務員特例法」によって禁止されている。しかし,これは「政治活動」の禁止を定めたものであって,政治に関心を持つなという意味ではない。教員が政治の動きに無関心であっていいはずはない。

 ただし,そこへの個人的見解を子どもの前で発言することには慎重でなければならない。子どもは十分な判断資料を持たないままに強く担任の影響を受けやすいからだ。

 その極端な例がかつて東京国立市の公立小学校で起こった。「校長土下座事件」である。「日の丸・君が代」「国旗・国歌」を卒業式に用いないという立場をとる教師が子どもを巻き込んだ事件として話題を集めた。

 国旗・国歌法の制定を待つまでもなく,学習指導要領ではかなり前から国歌への敬愛の念を育むためにその斉唱や掲揚を求めていた。

 教師はこれに従わなければならない。


 2.教育公務員の服務

 教育公務員である者は,学習指導要領の定めに基づいて教育活動をしなければならない。
それへの反対や不履行は当然許されないことである。

 そういう勝手な行動をとろうと思う者は,まず教育公務員を辞すべきである。

 教育公務員という身分から離れて,何を主張しようと,何に反対しようと構わない。

 それは,「思想・信条・表現の自由」として日本国憲法が認めているところである。

 しかし,税金から支給される教育公務員としての給料を受けとり続ける以上,そこに規制された公務条項を守るべきは当然である。

 だから,道内でも,卒業式に校長の命に従わず,君が代斉唱に加わらなかったり,退席したりした教師がある処分を受けたのは当然のことである。

 納税者の立場に立てば誰にだってその理由は当然のことだ。

 政治に関心を持つことは大切だが,子どもへの教育や働きかけには慎重であるべきだ。


 3.小泉総理の快挙

 ということをふまえたその上で,小泉総理大臣の靖国神社の参拝発言は実によかったと私は胸の透く思いでいる。

 靖国神社は,日本の国難にあって一身を奉じて国を守った英霊をまつる社である。

 我々の現在の繁栄,幸福も,身を捨てて国を守ってくれた先人たちのお陰で築かれたものである。

 その人々の霊を一国の国民を代表する立場にある総理が参拝し,感謝を捧げ,その殉難を無にすることなく,これからの日本をより立派に育て,築いて参りますと誓うのは当然のことである。

 小泉総理は,「首相として参拝する」ときっぱりと断言した。

 今までの非公式参拝という腰くだけの参拝とは明確な違いがある。腰のすわった天晴な態度である。

 これを右寄りだとか,政教分離に反するなどど論(あげつら)うのは実に本質を誤った言である。せめて,教師の間でこの快挙の意義を語り合ってみてはどうだろう。
 

【野口先生最新情報 Vol. 19 
 発信:kyositu.com 野口先生情報提供事務局中嶋 郁雄 ......2002-11-6..........】

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