千葉県庁における公費不正使用と官僚腐敗
1.内部告発が相次ぐ
官庁における公費の不正使用や浪費、官官接待(公務員同士の飲み食い)、政財官の癒着、汚職などが全国的に問題になっている。千葉県庁も例外ではなく、最近は、知事選挙ともからみ、県職員からの内部告発が相次いでいる。
まず、今年(1997年)の初め、「沼田知事の5選に反対し、情報公開を進める県職員の会」(以下、「県職員の会」という)という名の団体からマスコミなどに対して投書があった。
「県職員の会」の代表者などは不明だが、投書の内容を要約すると次のとおりである。
《1997年1月6日付け投書》
沼田知事の5選は県政の停滞、腐敗を招くという立場から、沼田5選に強く反対する。
沼田県政を振り返ると、4期を迎えてから停滞と腐敗の兆候がいたるところに現れてきた。情実人事とことなかれ主義が県庁に横行し、県職員の多数は仕事にやる気を失っている。職員と知事の間には側近という厚い壁ができてしまい、我々職員の声は知事に伝わらず、一般県職員の間では知事は裸の王様と呼ばれている。
県庁内で公費の乱用や使い込みが横行している。その手口は基本的には各県と同じで、各課の庶務主任が課長補佐と庶務係長の指示を受け、旅費、時間外、物件購入のカラ伝票を切り、裏金を作る。
裏金の使いみちの第1は、課長個人のための完全な飲み食いで、もちろんタクシーの送り迎え付きである。
第2は議会工作費である。多選を有利に運ぶため議会のまる抱えが知事周辺によって進められ、有力議員を接待したり、贈り物に使われている。
第3は人事工作費である。情実人事が広く行われていることから、部長や知事側近の有力幹部、場合によっては知事自身を招いての接待が行われている。この第1から第3までの使いみちは、県庁幹部職員による県庁幹部職員のための接待であり、実際に職員が行っていない出張命令が作られ支出される。一般の県職員の旅費、時間外手当が不当に流用され、幹部職員の飲み食いに使われている。
第4の使いみちは、現在の硬直化した予算、財政システムでは支出の困難な事務経費に使われるものである。計上した予算は1円残らず使い切らねばならないという非現実的なシステムを改善し、余った金は返す、必要な金は堂々と出すという当たり前のことができるようになれば、この使いみちはなくなる。
以上のべた公費の乱用・腐敗は、知事の多選、議会政党のオール与党化のもとで、まさに鼻を突くほどのひどいものであり、おそらく秋田、福岡の例からいっても50億を楽に超える公費が乱用され、幹部職員の飲み食いに消えていることと思われる。これはもう立派な犯罪である。
県政の主人公は県民であり、そのためには県行政にかかわる一切の情報は県民に開かれているべきだと考える。しかし、沼田執行部は都合の悪い情報は県民に隠そうと懸命である。我々は、今後、県民が正しく判断できるよう、沼田執行部がひた隠しにしてきた情報を県民に明らかにしてゆく。
《1997年2月3日付け投書》
1997年1月下旬、会計検査院の検査で住宅課における事務費の不正使用が指摘され、おびただしいタクシーの不正使用が明らかになった。千葉県庁における公金の乱用(その実態は、知事側近幹部職員による私的飲み食い)は、住宅課だけではなくすべての課に及んでいる。公的機関の調査によって乱用の一端が明らかになった意義は大きいものがあり、後は記者の取り組みによって50億とも100億とも言われる千葉県における公金の不正使用の全貌をぜひ明らかにしていただきたい。
議会中は各課で多数の職員が残業するが、これはほとんどすべて時間外手当が支給されていないサービス残業である。議会の期間中だけではなく、県職員のほとんどは時間外手当の申告はしていないのが実情で、職員が申告しない理由は、申告しても申告に基づいて手当が支給されないからである。申告すると上司にうるさいやつだとにらまれる。
年度末は、各課の庶務は毎日残業である。不用額を1円も出してはいけないからである。予算はすべて使い切らねばならない、これが役所の常識で、無駄づかいという言葉は役所にはない。カラ伝票を操作しても帳じりを合わせる、これが庶務担当者の仕事になる。必要な経費が予算化されていないため、庶務担当者はカラ伝票の操作を余儀なくされる。硬直化した会計、予算システムのなかでカラ伝票を操作することに職員がおかしいと思わなくなること、抵抗がなくなること、これが一番の問題である。全国の自治体で吹き出している公金の不正使用の温床は実態に合わない会計、予算システムのなかにある。
千葉県の場合、更に深刻なことは、各課の課長が幹部職員の私的飲み食いに充てるため積極的に裏金作りを部下に指示しており、これが広く慣行化していることである。どこの課でも、庶務がカラ伝票を作成し物品を購入したことにして、職員に旅費を支給したことにして、裏会計に回し、幹部職員の飲み食いに使っている。大量のタクシーチケットが幹部職員の夜の飲み食いに使用されている。
どうしてこんなことになったのかというと、沼田政権が長期化し、側近が固定化し、人事が停滞していることと、議会のオール与党化が進み、県庁内に良い意味の緊張感がないことがこれらの腐敗を生んでいる。我々が沼田知事の5選に反対する理由はここにある。沼田知事とその側近にはこの腐敗を根絶することは不可能である。
記者に要望したいことは、記者クラブを出て自分の足と頭でぜひ取材をして真実に迫って頂きたいということである。広報課から提供される記事は、当局の手によってあらかじめ問題点が削除され隠されたものであり、このような毒にも薬にもならない記事を読者である県民は喜ばない。
もともと、国政と比べて地方の首長の権限は強大であり、しかも千葉県のように知事の任期が長期化すると、議会の翼賛化が進むので、権力の専横、腐敗をチェックする最後の砦は県民の目となり耳となるマスコミ以外にはない。
沼田知事は、記者が直接、一般職員と接触し、真実を県民に報道することを心底から恐れている。そのため、記者に聞かれても、各課の課長補佐が対応し、直接職員が答えることは禁止されている。記者ひとりひとりの勇気と努力を期待する。
ここに書かれている公費の乱用や使い込みは、すべて事実である。筆者も本誌前号に投稿し、県庁における公費私物化などの実態を書いたが(「『官官接待』に思う」、『ちば・地域とくらし』第34号、1995年12月)、投書が相次いでいることで、県庁内部の公費乱用や情実人事、官僚腐敗がいかにひどいものであるかがわかるであろう。
2.公費の乱用と私物化の実態
さて、公費の乱用・私物化の実態について少し付け加えると、問題のひとつは、“予算さえ獲得すれば、あとはそれをどう使おうがかまわない”、あるいは「県職員の会」が指摘しているように、「計上した予算は1円残らず使い切らねばならない」という財政システムにある。
毎年、夏から秋にかけて、各課で次年度の予算要求を作成し、財政課の査定を受ける。最終的に査定結果をつみあげたものが県の予算案となり、2月県議会に提案される。
この場合、議会承認後に各課に配分された予算は、事業ごと、科目ごとに金額が細かく決まっている。しかし、実際には、各課がこれらの予算を事業ごと科目ごとに厳密に使っているわけではない。たとえば、「○○○事業費」という場合、内訳は、賃金、旅費、委託費、需用費(消耗品費、食糧費、印刷製本費)など、それぞれの科目ごとに金額が決まっている。
しかし、たとえば業者に発注する委託費や印刷製本費をみた場合、予算額は特定の業者に見積書を出させたりして作成したものであるが、実際の事業実施段階では、複数業者による入札を行ったり、随意契約の場合でも、複数の業者から見積書をださせたりして、金額や内容によって業者を決定する場合が多い。したがって、実際には、業者への発注費は予算額よりも少なくなるケースが少なくない。
この場合、本来は予算補正によって余った金を返すべきなのだが、そうすると次年度の予算確保がむずかしくなるということもあり、普通は返すことをしない。つまり、余った金は他に「流用」し、1円も残さず使い切ってしまうのである。(「流用」というのは役所用語であり、実態をみると公金横領というべきものが多い)。この「流用」はほとんどすべての課で日常茶飯事的に行われているもので、裏金づくりや幹部の飲み食いのなどにあてられている。
「流用」の一般的な源泉は、職員の旅費である。じっさいには出張しないのに、課内の職員が何回も出張したように書類を作り、この分を幹部の飲み食い費などにあてるのである。つまり、全国的に問題になっている「カラ出張」である。
また、カラ出張分をすべて幹部がつかうと不満がでたりすることから、その一部を“口止め料”としてすべての職員に分配している職場もある。ちなみに、旅費が「流用」しやすいのは、旅費が現金化しやすいことと、税金がかからないためである。
消耗品費や印刷製本費、食糧費なども幹部の飲み食いや官官接待、「県県接待」(県庁内部の接待)として「流用」されており、伝票などの偽造が日常的におこなわれている。コピー用紙などの消耗品を購入したように書類をつくり、実際は飲み食い費につかったり、ビール券やパソコンなどを購入する。あるいは、刊行物発行の名目で印刷製本費の予算を確保しておき、実際には刊行物は発行せず、裏金に回すなどということが、ほとんどの課で行われている。
時間外手当のピンハネもひどいものがある。この点については、「県職員の会」が投書の中で、職員が残業しても時間外手当が十分に支払われず、この未払い分が幹部の飲み食いなどに使われていることを訴えている。
このように時間外労働をさせておきながら、時間外手当をきちんと支払わない、しかも未払い分を幹部の飲み食いなどにあてるというのは、労働基準法違反であり、ピンハネである。まさに、「オール与党」に支えられ、腐敗化した知事側近幹部に牛耳られた県政のもとで、搾取(ピンハネ)や公費の私物化が半ば公然と日常的に行われているのである。
県費を「流用」し、幹部の飲み食いにあてるという点で見逃せないのは、「馴染みの店」(料亭、スナック)の存在である。ほとんどの課がこれをもっており、そこで飲み食いした代金をツケにして、課に請求書を送らせる。課の庶務主任は、上司の指示を受け、裏金を捻出してこの店に支払う。幹部が連日のように「馴染みの店」に入り浸り、そのツケをすべて公費で支払っている課もある。
現在は、財政事情の悪化によって経費節減が進められており、「流用」の源泉となっている旅費などが削減されているので、全体的には飲み食いの回数などは数年前と比べれば減っている。
しかし、公費による飲み食いそのものは相変わらず続いており、また、タクシーチケットの私的使用は相変わらず激しい。本庁についていえば、「馴染みの店」や会館、タクシー会社などから請求書が届けられ、ほとんどの課で庶務担当がその対応(つまり、書類改ざん)に頭を悩ましている。料亭やタクシー会社から次々と請求書が届けられてくるために、当該年度で支払いできず、借金が次年度に繰り越され、過年度分の支払いややりくりに追われている課も多い。こうした書類改ざんや過年度分飲食費の捻出などで連日残業や休日出勤を強いられている担当者も多く、国の会計検査がある時は徹夜状態が何日も続くという課も少なくない。
タクシーチケットについて一言ふれると、県庁の幹部は飲み食いの後、必ずといってよいほどタクシーチケットを利用している。
この点について「県職員の会」は、「県庁御用達」となっている富士タクシーの運転手を取材するように記者に勧めている。
しかし、以前、「県庁御用達」となっていたKタクシーの運転手が私的利用のひどい実態を告発したため、Kタクシーは「御用達」をはずされた。したがって、富士タクシーの運転手については、きびしいかんこう令がしかれている。
ところで、本来は、監査委員がこうしたことを厳しくチェックしなければならないのだが、よく知られているように、監査委員は知事の任命であり、県職員OBなどで構成されているので、チェックする気はさらさらない。
また、監査委員の監査を手助けする監査委員事務局の職員も一般の県職員であり、2、3年後には監査される立場に回るため、不正「流用」などが分かっていても、見てみぬふりをしている。
年に1回、各職場で監査が行われるが、監査担当者は、形式的に書類を眺めるだけで、裏金作りを摘発したりはけっしてしない。
ただ、何も指摘しないとメンツがたたないので、どうでもいいような些細な問題や初歩的なミスを指摘して、それで一件落着というのが、おきまりの監査となっている。ちなみに、かつて、監査委員事務局の職員がある職場の監査を厳しくおこなったところ、この職員は左遷された。
3.腐敗官僚に支配された県政
「県職員の会」は投書の中で、知事側近幹部が支配する県庁内で、腐敗や情実人事、ことなかれ主義が横行し、多数の県職員が仕事にやる気を失っていると書いているが、これも事実である。
まず腐敗についていえば、先に述べたような公費の不正使用や裏金づくりを最大限に享受しているのは知事側近幹部である。おそらく、部長級で年間数百万円をくだらないような金額(公費)を私的に使用していると思われる。私が知っている幹部(本庁の課長級)は、ほとんど毎日のように、公費をつかって飲み食い(市町村、関連団体などによる接待の場合もある)をしており、帰りは必ずといってよいほどタクシーチケットを使用している。
県庁では、こうした幹部の飲み食い費用などを捻出するために上手に「流用」する職員が早く出世する。本課でいえば、庶務係が支出や裏金作りを担当しているが、庶務係長は他の係長よりも格が上として位置づけられている。
県民サービスの向上に精を出す者よりも、伝票などをうまく作り替え、裏金の捻出で幹部の私的飲み食いなどに貢献した者が早く出世するのである。
したがって、人事においては、県民サービスや県民生活の向上、地域振興などのために一生懸命やっていることはほとんど評価されない。
裏金づくりをどれだけ上手にやったか、あるいは知事側近幹部の私的飲み食いなどにどれだけを尽くしたかということが重要な要素となるのである。
さらに、人事において決定的に重要なのは人脈である。そのため、ゴマすりが横行する。知事や知事の側近に声をかけてもらったり接するために、あるいは自分の手足となって動いてくれる子分をたくさんつくるために、さまざまな集まり(グループ)がつくられており、ひんぱんに懇談会(宴会)が開かれている。
たとえば、出身高校や出身大学の県庁同窓会が数多くつくられている。また、職種ごとの親睦会や、各市町村や郡の居住者会、採用同期会、JR○○線通勤会、○○市出向者会なども無数につくられている。
こうした集まりには、関係の県議や幹部OBも顧問などとして会に加わり、宴会などに出席している。また、知事側近が中心となった集まりには、知事も招待されている。
仕事の面ではあまり能力のない者でも、こうした集まりをつうじて知事側近や自民党県議とつきあいができれば、とんとん拍子で出世することも十分に可能である。また、「自民党県議に100万円貢いで課長にしてもらった」という職員もいるくらいである。
こうした点については、ある県職員は「明るい民主県政をつくる会」への投書で次のように書いている。
「長期政権における県議会議員と県執行部との関係を、先日、紹介させていただいたが、今回は、長期政権なるがゆえの県職員人事のマイナス効果を紹介し、その中で生まれた天下りの現状・企業との癒着について説明させていただく。人事については、事務系と技術系に分けて検討され、事務系では佐原グループ(佐原高校卒業者中心)、長生グループ(長生高校卒業者中心)、千葉高グループなど数グループに分かれてそれぞれにポストがおり、その人物を中心とする人間関係で人事上のポスト争いが続いており、それらのグループに所属していない者は、仕事上優秀でなかなか重要なポストにつけない。その反対に、いずれかのグループに所属しておれば、それなりに重要なポストにつくことが可能である。技術系については、日本大学、千葉大学が特に目立っており、日本大学の県庁同窓会には知事(東京大学卒)を招待し、集団でゴマをすっている。もちろん長期政権なるがゆえにその効果も著しく、土木部や都市部では日大卒が多くの重要ポストを占めている。この様に、県庁職員の間では、事務系技術系をとわず知事及び一部幹部に対するゴマすり出世競争が激化しており、今や、『県民中心の行政』などほど遠い。ポスト争い、縄張り争いが多くの県庁職員の最も重要な関心ごとである。しかしながらまじめに県民のために一生懸命仕事をしている者も少しはいる」
ちなみに、1985年1月6日付けの読売新聞(千葉版)は、県庁人事をとりあげ、「『彼が部長とはねえ』とOBがタメ息をついた例も聞く。さらに、自民党県議の後押しで、ぐんぐん出世した幹部もいる、との指摘もある」と書いているが、こうした情実人事は今も幅をきかしているのである。
このように腐敗した人事のもとでは、職員がやる気をなくすのは当然のなりゆきであろう。県職労が全職員を対象に実施した「仕事と職場のアンケート」(前出)では、「今の仕事や職場で、喜び、やりがいを感じますか?」という問いに対して、23.8%(761人)の職員が「ほとんどない」と答えている(図3)。職種別にみると、事務職では、「ほとんどない」は33.7%(321人)にもおよんでいる。
4.壮大な無駄遣いを続行
(省略)
5.緊急課題となっている情報公開
内部告発が相次いでいることにみられるように、沼田県政に不満をいだいている県職員は数多い。今回の知事選挙でも、多くの県職員が知事の交替を望んでいた。
しかし、結果的に沼田知事の5選が決まったいま、県政を民主化する方策のひとつは情報公開となっている。この点では、オンブズマンの活動がおおいに期待される。
評論家の佐高信氏は、情報公開について、「公開しないのは、公開できるほどの仕事をしていないからだ。ソバの手打ちをガラス張りで見せるのがあるが、あれが情報公開だ。打っている場面を見られていれば、手抜きできない。自分のソバに自信があるなら、堂々と打つところを見せればいい」(千葉日報、1997年1月18日)と述べているが、まったく同感である。
ガラス張りになれば、公費の私物化や無駄遣いがしにくくなる。また、公務員にとっても、やりがいが大いに生まれるのではないかと思っている。
公費乱用や県民に背を向けた県政運営に対して、心を痛めたり、なんとかならないかと思っている県職員は数多い。次に紹介するのは、県職労青年部が昨年1月に実施した青年対象のアンケートに対して、ある職員から寄せられた一文である。
「今、千葉県職員として第一に疑問を抱き叫ぶべきことは、露骨な政治的介入、組織の面子至上主義、ことなかれ主義、職員の低い士気等々により、まともに行政機関としての法の正義も公共の福祉も貫徹されていないことである。これについては具体例や理論上の説明は不要であろう。(中略)少しでも職場に根を張り現場の問題を考えているのならば、出先の職員は将来を悲観し無為に日々を過ごし公僕としての誇りを捨てていること、本課では議会やプレスに対する対外的なポーズを作ることに病的なまでに固執し、やはり公僕の理念を捨てていることなどがすぐに見えてくるはずである。行政の本質がまったく無視されたこうした現状を黙殺したままでは県民の支持協力は得られるわけはなく、全市民階級、勤労階級的な結束は無理であり、上部団体の運動だけ頑張ってそれでナショナルセンタ-としての機能をなしているといっても何の説得力もないであろう。この腐った県行政に対し疑問や怒りを感じている不満分子は特に若い女性を中心に意外と多く、これらの勢力をうまく結集できれば組織の勢力は質的にも強化されるのではないか。(中略)長々と偉そうなことを述べてきたが、そういう自分は何か行動を起こしているのかといえば何も考えてさえもいない。何よりあきらめの気持ちが先に立ち、完全なペシミズムに陥っている。この先どうしてよいかわからず、将来に対してどうにもならない不安と絶望を感じているだけである。ただ実際の活動家たる皆さんに訴えるよい機会であり、こういう考えを持っている人間がたくさんいるということを知ってほしかった次第である」
ここに書かれているように、腐敗した県政運営や人事のもとで、数多くのまじめな職員がやる気をなくしたり、不安や苦悩をいだいている。
こうした実態をより多くの方々に知っていただきたいと思い、長々と書かせていただいた。
最後に、数的には多数を占めている真面目な職員と、労働組合や県民が力を合わせ、県政が県民本位に転換することを切に望んでいる。
(1997年4月)著者 原田隆夫
本稿は、千葉県自治体問題研究所発行『ちば・地域とくらし』第35号(1997年4月)に掲載されたものです。
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